【実写版パトレイバー】 THE NEXT GENERATION -パトレイバー- 四年目の総括

いちCGスタッフとして参加していた同作について、今更ながら向き合ってみようかと思う。
ネタバレもちょいちょいあるので、未視聴のかたはそっ閉じで。

あなたは「THE NEXT GENERATION -パトレイバー-」を知っているか
シリーズ一作目のOVA「機動警察パトレイバー」(ヘッドギア原作)が発売されたのが今から30年前、1988年。

当時のロボットアニメの常識を覆す「すぐ壊れる」「兵器ではない」「乗り込むのはただの警察官」「ロボットプロレスは極力しない」という設定は斬新で未だに根強いファンのいるシリーズである。(「踊る大捜査線」も監督の本広克之さんも同作を作る際に参考にしたと言う)

かくいう自分も実家がWOWOWを見える環境であったこともあり、小学生ながらひたすらパトレイバーとディズニー、アトムを見る日々であり、ご多分に漏れずパトレイバー(アニメ版)大好き人間である。

その一作目のOVAから26年後2014年に13話のビデオドラマ(本来はテレビ放送用に作られていたもの。尺のフォーマットは1話30分の牙狼シリーズと同じ。)、翌2015年に一本の長編映画がリリースされたのが表題の「THE NEXT GENERATION -パトレイバー-」である。


俗に「実写版」と呼ばれる同作は、1/1サイズのレイバー(ロボット)を大道具扱いで作成したり、CGを使ってロボットアクションやアニメ的表現を再現した作品である。

自分にとっては「この作品やらしてほしい!」と手をあげて、プロとしては初めてやらせてもらえた「やりたかった作品」でもある。

いちCGスタッフとして参加していた同作品に対して、公開当時感じていたことや今思うことなど、今一度個人的に向き合ってみたかったので筆を執った次第である。


焼き直しであり焼き直しでない
「実写版」のストーリーはほぼすべて過去のアニメからの引用である。(内部資料では堂々と元ネタの話数が書かれていた)
そのせいか元ネタのない12話の「大いなる遺産」がある種異質で新鮮であったこともそこに起因するのではなかろうか。

押井守監督いわく「同じネタを何年か越しにアニメと実写でやることで、過去と現在の差分を見てほしい」とのことらしい。

「実写版」は各話の元ネタが必ずアニメシリーズに存在し、若干スベってるような懐かしいような独特な感情を生む作りになっているのだが、アニメと実写で大きく違う点が一つあり「基本的に犯人に名前がない」のである。

名前がないことが持つ副次的な意味
「実写版」の犯人は名前がない。また名前があっても偽名で出自不明であったりする。ドラマシリーズを見ている間はまだそれでも納得はできたが、最終決戦である「首都決戦(劇場版)」でも敵である灰原零もすでに死んでいるとされ、画面に登場する人物は出自不明であるとされた。

そんな相手に対し、『個性的な初代。無個性な二代目。無能な三代目。』と称される三代目特車二課の若者達が立ち向かうのである。

メイキングなどで事あるごとに『彼らには語るべき物語がない』と言い放つ押井さん。だから『敵も中身がない』と。
ましてやっていることは過去作の『焼き直し』。メンバーを変えて同じことをやる。ある種制作体制と、シナリオがメタ構造になっているわけで。

見ている側として受けた印象は『もう押井さんは自分より下の世代を共感も理解もしていないんだな』であった。

『若者たちはよくわからない名前のない(実態のない)亡霊か何かと戦っているんだな』

そして、犯人は生き延びレイバーは一台は海の底、もう一台は大破状態である。
『若者たちは亡霊に勝てない』と結論づけられてしまっているのである。

首都決戦≠パト4
正式名称「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」と呼ばれる「実写版」完結編でありもとから劇場公開用として作成された同作は、「機動警察パトレイバー 2 the Movie」(通称「パト2」)を元ネタに、警察側、犯罪者側お互いに世代交代した後の話を描いている。
と呼ばれれば聞こえはいいが実質これは実写リメイクに近く、同じ場所、同じ構図、同じ対立軸で世代が変わっただけの映像がひたすら続くのである。
そのうえで各人間が中身がない存在として描かれ、操り人形のように「パト2」と同じ状況に置かれていくのである。劇場で一人椅子に座り思ったことといえば「これはなんだ?」であった。

公開されるまではこの「実写劇場版」は時系列的にも、「パト4」として制作されているものと思っていた。「パト2」公開から20年以上がすぎ、押井さん本人も、その周辺スタッフもアップデートがかかっているはずであり、それを盛り込んだものになるのであろうと。実際ドラマ版12話ではその兆しが見えてはいた。

その実、完成したフィルムはまごうことなき「実写版パト2」(名付けるとすればパト2.5)であった。世代とストーリー内での時代も先に進めたたにもかかわらず、中身は全くアップデートされていなかったのである。


伝統というのは自分の手で新たに作り出すことでしか受け継げない。
「先代の遺産を食いつぶして生きていく、伝統は自分の代で途絶えても仕方がない」という発言に対するカウンターのセリフである。

公開当時あまり思っていなかったことではあるが、押井さんはほんとはちゃんと世代を引き継いでほしかったのだろうか。

次の世代がちゃんと育っていない若干のあてつけのような「伝統というのは自分の手で新たに作り出すことでしか受け継げない」というセリフにあらわれているように思う。

『次の世代に託す』とかそういう綺麗事ではなく、『お前ら自分たちでやれ!』という、エールともさじを投げたとも取れる形である。
そのさじの投げ方が言い方は悪いが「あの人は終わった」的な感情しかわかなかった。

改めて今、何を思うか
今、改めて向き合うことにしたのは自分が曲がりなりにも、業界の片隅で絵コンテを書き演出に手を出し始めたからでもあるのかと思う。(自分でもよくわからないけど)
公開された当時は怒りや悲しみがほとんどだったが、今思うのは30半ばなんだから「そろそろ自分もなんとかせにゃ」である。
他人の作ったものをどうこう言う前に、自分にもチャンスが転がりつつあるんだから活かしていかないと。

好きな歌の一節にこんな歌詞がある。
「もっとああしろよとか俺に、文句があんならばお前も、マイク持ってステージ立って全部やって確かめりゃいいだろう」

相変わらず『大人になれ』と言われて素直には聞けないけれど、そろそろ『自分たちの物語』を紡がなければいけないのではないかと。

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